水谷 通孝 (みずたにみちたか)
昭和51年9月2日生 B型
個人的な話が多くなってしまい恐縮ですが、トップランナーを創業するまでのちょっとした歴史をまとめてみました。
この物語は私が高校を卒業した頃から始まります。 それは、ちょうどその頃から私の人生にも色んなことがあり、今の自分につながっている気がするからです。 カナダでのワーキングホリデー、語学留学も含めて、いまの活動の原点がここにあるように思います。
長文になりますが、お付き合い頂ければ幸いです。 |
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ちょっとその前に・・・
| 私は1976年、愛知県名古屋市南区に生まれました。 父親は小さな会社を経営する設計士、母親は企業で働く栄養士でした。 小学校に入り、高校2年生までは、庶民的な一般中流家庭。3人兄弟の次男坊で自由気ままに育ってきました。 スポーツ大好き、勉強苦手な野球少年。それでも朝早くから夜遅くまで働く父親を見ながら、自分も「大きくなったら社長さんになりたい!」 なんて思っていました。 |
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| 県立高校卒業後、型枠大工として県内の建築現場で働く。 |
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高校2年生の時、バブル崩壊に伴い、父親が経営していた会社が倒産
、受験勉強どころではなくなり大学進学を断念、働く道を選ぶ。
なんとか高校を卒業後、兄貴の友達の紹介で大工の親方に会う。
親方は奄美大島出身の職人気質丸出しの中日ドラゴンズファン。
面接というか、居酒屋に呼び出されて初めて会う。一番最初の質問は・・・
「お前、中日ファン?」
「そうです」と答えると・・・
「はいオーケー! 採用!」
その後、居酒屋で夜中まで飲んでいた。
というより話を聞きながらうなづいていたと言ったほうが正しいかも。
面接の時は高校生だったのに(苦笑)
大工の朝は早い。朝6時には起きて現場に向かう、真夏の仕事はとても大変だった。
建築現場というのはもちろん、未完成の建物なので、日差しが強い。
暑い、暑い、暑い。乗馬ズボンにタビはいて、毎日材料かついで現場の中で働いてました。
肉体的にはきつかったけど仕事は楽しかったです。
若造ながらも、大工という仕事から学んだのは・・・
『仕事は一生懸命やるもの』
『何事も段取りが大事』
ということ。
これは後に企業で働いたときにもとても役にたった。
でも、この頃は大学にいけなかった自分に対するコンプレックスでいっぱいだった気がするなぁ。
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| ワーキングホリデーで初めての海外生活 |
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1998年、21歳の時にワーキングホリデーでカナダへ、2ヶ月間バンクーバーに滞在した後、
オタワへ移動、オタワの日本食レストランで約10ヶ月間働く。
初めてカナダに着いた時はまったく英語が話せなかった・・・。
初めて降り立ったバンクーバー空港のイミグレーションは悲惨だった。
私の理解では身長と体重を聞かれたと思い自分の身長と体重を必死に英語で伝えていた。
あとから知人にその話をすると、そんなこと聞かれるはずないよ!と笑われた。
それでも結局、当時は半年更新のワーホリビザが入国時に1年分もらえたのでラッキーだった。
初めてのカナダでの生活はとにかく楽しかった。
何もかもが新鮮にみえた。海外でバイトをして、収入を得て、自分のアパートで一人暮らしをして、
週末にはスノボーへ行ったり、飲みに行ったり、よくわからんけど映画を観たりと、
そんなことの繰り返しだった。
振り返って思えば観光の延長だった気もするけど、でもたくさんのことを学んだ気がします。
この一年間の生活で下手なりに英語を好きになったことが一番良かったことかもしれない。
通じるだけで嬉しかった(笑)
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| 再び、大工へ |
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カナダから帰国後、再び大工になる。
この時、全ての貯金を使い果たしていたため、とにかく稼げる仕事がよかった。
と言うよりも、他にやってみたいことがなかった。
しかし、心の中では、英語を使った仕事ができたらいいなぁとは思っていたが、
自分の英語力ではまったく現実的ではなかった。
「この先どうしようかな?」
「このまま一生大工をして生きていくのか?」
と思いながら毎日を過ごしていた。
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| コンピューターを学びはじめる |
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将来のことを考えて何かスキルを身に付けたいなとは思っていたけど、
いまいち何を勉強すればいいのかよくわからなかった。
ある日、友達が「パソコンスクールの説明会に行くから、一緒に行こうぜ」
と声を掛けてくれて、暇だったので一緒に行ってみた。
そこで、「これからコンピューター学ぶならJAVA(プログラミング言語の一種)ですよ!」と言われ、
単純な僕らはその気になり2人揃って入学、それから暇さえあれば、プログラムの勉強をしていた。
その半年後には大工からプログラマーへ派遣社員として転職、
その1年後に同じ職場から正社員として登用される。
あの時、友人が声を掛けてくれなかったら今の自分はなかったかもしれない。
小さなきっかけから色んなことが始まるなと思う。
その友人も同じ時期にIT系の企業に転職し今ではその会社の中心人物になっている。
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| 名古屋市内・ソフトウェア開発会社 入社 |
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初めて会社に出社したとき、「ここが水谷君の机ですよ。」と言われたとき、
なぜかやたら嬉しかった。
仕事は社内向け・ソフトウェアの開発(設計・プログラミング)。
プログラミングは嫌いではなかったがパソコンの前に一日中座っているのがかなり苦痛だった。
プログラマーとして働いて2年目くらいのある日、トイレの鏡を見て、
笑顔がぎこちない自分に気づく。
パソコンに向かって難しい顔を長時間していたのが原因のよう。
顔面硬直! ちょっと練習してみたが、やはりぎこちなかった。
この時、自分はやっぱりもっと人と接する仕事がいいなぁと思い出す。(笑)
この当時、タバコをやめて急激に太った。
1年で13キロくらい太ってしまい少し体に異常が表れる。
(会社の人にも入社したときと形が変わってきてるよと笑われていた。)
タバコをやめて健康になるはずが人生で一番不健康な時期を過ごす。
皮肉なものです。お医者さんには・・・
「水谷さんの生活習慣ではこうなるのは当たり前だったんですが、
タバコをすってたから体が太れなかったんですよ。」と言われビックリ。
ライフスタイル革命を決意。
2年後には15キロ減で正常に戻る。 結論・やっぱり健康一番(笑)
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| 通信教育で短大を卒業 |
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会社に入ってから、やはり高卒ということが色々と邪魔をすることがあった。
仕事の内容で自分が劣っているのであれば仕方がないと思うが、
私より1年2年遅く入社しても大卒ということで私より給料が多いというのが納得できなかった。
しかもその当時社内でのプログラミングの講師もしていたのでなおさらだった。
でも会社のルールを変えるのは難しいので、自分を変えるしかなかった。
ちょうどその頃、パソコンスクールで知り合った友達が東京にある産能大学の通信教育を
受講していることを知り、色々相談。
経営に興味があったので経営管理コースへ入学を決意。
働きながら2年で終わるところが3年かかってしまったが結果オーライ。
また皮肉にも卒業する時には、カナダ行きを決意していたので、
高卒から短大卒になっても大きな変わりはなかった。
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| 再びカナダへ |
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日本でサラリーマンをして働きながら考えていたことは・・
「できることよりもやりたいこと」で仕事がしたいということ。
正直、SE(システム・エンジニア)という仕事を続けていれば収入も安定し、
少しずつ会社でのポジションも上がっていったと思う。
でも60歳の定年まで働いたとして、今が28歳だからあと32年働くことになる。32年!
まだそんなに生きてないのに。
今から2・3年かけて本当にやりたいことに必要なスキルを身に付けたほうが、
絶対に近道だし、幸せになれる!と判断しカナダへ語学留学を決める。
英語は自分がやりたいことのベースになるスキルだったのでこの選択は良かったと思う。
カナダ出発6ヶ月前に結婚。
自分のわがままを理解して応援してくれる妻と家族には感謝してもしたりないほどです。
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| 10年ぶりの学生生活! 語学学校に通う |
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英語だけは絶対にできるようになって帰国する。
そう思っていた私が留学先に選んだ町、それはカナダの東端にある小さな町ハリファックス
そしてハリファックスにある語学学校International Language Institute に通い始める。
10年ぶりの学生生活だったせいか、こんなことを思っていた。
「勉強することがメインの生活って楽しい♪」
社会人が資格取得やスキルアップのために何かを勉強しようとすると、
どうしても仕事の合間をぬって時間を見つけて勉強しないといけない。
でも、カナダへきて語学学校に通っているということは、
「英語を勉強すること」がメインの活動。
当たり前に聞こえるかもしれないけれど・・・
社会人経験のある私にはとても幸せなことでした。
そして語学学校に通い始め、授業にも慣れてきたころ・・・
日本の中学や高校の教え方とはスタイルの違うカナダの英語教授法に興味を持ち始めました。
日本の学校は、講義形式というか、先生が前にいて、生徒は静かに座って聞いている
というスタイルがメインですよね。
でも私が経験した語学学校のスタイルは、生徒が中心になった授業だったのです。
クラスメイトとペアやグループを作って話しをしたり、プレゼンテーションやディスカッションをしたり、
教室の中を動き回ってアクティビティをしたりするスタイルがとても新鮮に感じました。
そして・・・ 「英語の先生って面白そう」 と思い始めたのです。
これは本当に偶然なんですけど、私が通っていた語学学校ILIではネイティブスピーカー向けに
英語の先生になるための資格、英国ケンブリッジ大学認定・CELTA(セルタ)のコースを
提供していたのです。
「どうせ、英語を学ぶなら、人に教えられるまで上達したい」
そう思った私は、CELTA取得を自分の英語学習の目標に設定しました。
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| カナダでの英語教師資格 CELTA取得 |
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語学学校ILIでの一般英語コースを7ヶ月通い卒業。 この時点で無事にCELTAコースへの受け入れが決定!
このコースはネイティブスピーカー向けなので、日本人の私はそれなりの英語力を証明する必要がありました。
筆記試験と面接、エッセイ2つを提出して何とか合格。
これまで周りの人にCELTAを取得すると言っていたので、とりあえずコースに参加できることが決まってホッとしました。
CELTAのコースでは、英語教授に必要なことを、基礎からみっちり学びました。
実際に初日から先生としてESLの授業を担当しました。 これめちゃめちゃ緊張しました。
CELTAは、コースについていけない生徒は「途中で脱落」ということがあり得るので、それだけは避けたいと思ってました。
(実は授業料もかなりのものだったのです。4週間で約25万円、途中で脱落の場合も返金不可)
それでも自分がESLの生徒の経験があるせいか、意外とネイティブのクラスメイトが知らないことを自分が知っていたりもしました。
クラスメイトに助けられたりしながら、何とか4週間のコースを修了して無事合格。 晴れて英語の先生に。
これはカナダでも英語が教えられる資格。
カナダの学校で教えることはないだろうけど、とても大きな自信になりました。 |

英国ケンブリッジ大学認定・英語教授資格
CELTA 認定書 |
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| TOEICテスト初受験で935点取得 |
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ハリファックスでの語学留学で自分の英語力がどれだけ向上したのかを試すために準備ゼロで受験しました。
結果は合計935点
(リスニングは満点でした。 )
このTOEICへのアプローチもトップランナーのみなさんへお伝えしていきます。
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代表水谷の TOEIC スコア |
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| 日本へ帰国、そして英会話スクール勤務 |
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ハリファックスでの語学留学を終えて、目標だった英語の先生の資格も取得してなんとか日本へ帰国。
そして、名古屋にある英会話スクールへ日本人講師として就職。
(さすがにCELTA取得という肩書きが大きく、二つの学校と面接をして、両方とも内定を頂いた。)
英語講師の仕事は面白かった。
私が働いていた英会話スクールは教材も設備もしっかりしていて、環境的にはとても良い学校でした。
通われている生徒さんも真剣な人が多く、同僚のネイティブスピーカーや日本人スタッフも良い人達で、
全てがうまく行っていると思っていました。
そして、働き始めてから5ヶ月が過ぎたとき、突然・・・
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| 英会話スクール倒産!! |
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一時期、テレビや新聞のニュースなどでも大型企業の倒産ということで報道されていましたので
ご存知の方もいるかもしれませんね。
私は、東京に本校のある、LADOインターナショナルカレッジの名古屋校で働いていました。
そのLADOインターナショナルカレッジが突然、企業倒産してしまったのです。
LADOが倒産したとき、妻は妊娠7ヶ月で長男の晴喜がお腹にいました。
しかも給料は2ヶ月間未払い、そして不運にも5ヶ月間しか働いていないため失業保険ももらえない。
まさに、最悪・・・
「えっ この状況やばくない?」
このとき、今までのことと、これからのことをよく考えました。
そして、
「こんなことに自分の人生壊されるわけにはいかない」 と強く思った。
自分のコントロールのいかないところで経営されていた組織が、自分の知らないうちに倒産して、
自分の人生が狂わされるのはお断りだと強く思った。
だからこの出来事を完全にプラスに変えることに決めました。
不思議なことにその瞬間から・・・
30歳の今これを経験して良かったとさえ思えてきました。
(もしこれが・・・自分が50歳だったら、子供が高校生で大学受験前だったらと思うと、
このときほど前向きにはなれなかったかもしれません)
そして、こんなことを考えはじめたのです。
「自分の英語教師という持ち味と今までの自分自身の英語学習経験を活かした英語スクールを
自分で作ってみたいな・・・」
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| トップランナー・スタート! |
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2007年10月 「トップランナー」をスタート
基本コンセプトは、「あなたも洋書が読める人になる英会話」
なぜ洋書を読むことをこんなにも強調しているのか?
自分自身の英語学習と英語教師の資格をとるコースの中から
「日本で生活をする日本人にとっての英語との付き合い方」、
「最大限の英語の利用方法」を考えると・・・
洋書を読む力は必須だと確信しているからです。
そしてこれから出会う人達が英語の本を読めるようになったらいいなという想いから
洋書を読むことをメインのコンセプトとして位置づけしました。
教室1つしかない小さい英会話スクールですが、
たくさんの人と出会えると嬉しいです。
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| 最後までお読みいただきありがとうございました。 |
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どうして私の子供のころから、今までの事を読んで頂いたのでしょうか?
どうして私をあなたに知って欲しかったのでしょうか?
それは、トップランナーは「小さな英語スクール」だからです。
だから・・・
「もっと、英語が上手になりたいというみなさんの身近にいたい。」
「もっと、英語が上手になりたいというみなさんの声を聞きたい。」
そのためには、私という人間を知って頂くのが先で近道だと思ったからです。
現在の日本には、本当にたくさんの英語学校・英会話があります。
良いところもあれば、悪いところもあるでしょう。
その中からご自分にあった学校を選ぶのは難しいでしょうし、誰しも失敗して損はしたくないと思います。
だからこうして、わたしを知ってもらうことにより、少しでも身近に感じて頂きたかったのです。
もちろん、あなたが安心して英語が学べる環境を作れるように私も日々勉強です。
最後に、このホームページに来てくれてありがとう。
そして、長くなりましたが、最後までお読みいただいてありがとうございました。
次はトップランナーの教室であなたにお会いできると嬉しいです。
追伸:
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無料の体験レッスンを随時開催しております。是非一度お越し下さい。お待ちしております。
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